雨は上がり、雲の切れ間から光が差す
11 解ける鎖
「・・・アスラン・・」
今まで規則正しい呼吸をしていたが、聞き取るのがやっとなほど小さな声でそっと名前をつぶやいた。
の右手を祈るように握ったアスランの手に、無意識に力が篭る。
「・・・?」
そして、それとほぼ同時にゆっくりとの瞳が開かれた。
まばたきをすると、一粒だけ無意識に涙が流れた。
「アス・・ラン・・・」
「よかった・・・」
いまいち状況が理解できていならしいが不思議そうに見上げた先のアスランは笑っていた。
本当に安心したような笑顔で。
「今、何時??」
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに尋ねそっぽを向いたらしい仕草にアスランは再び微笑む。
「6時半過ぎだよ。」
カーテンの僅かにあいた隙間から暗闇が降りた空に、小さな星がいくつも輝いていた。
雨はやんだようだった。
「帰ろうか、。」
「・・・うん。」
そっと静かに、アスランはに手を差し出した。
すっかり冷え切った冬の空は吐く息も白くいつにも増して星が美しく、たくさん見える。
月光と街灯の光で細長く二人分の影が、長く、長く、後ろに伸びていた。
表面に薄く氷の膜が張った水溜りをよけて歩きながら、始終二人は無言だった。
「じゃあ、また明日・・・」
角をまがり、のマンションが見えたところで二人はどちらかとともなく足を止めた。
さぁっ・・・と、冷たい風が吹く。
「・・・あのさッ・・」
「なに?」
暗い中で、が俯いているのがわかった。
寒さか、他の何かか。
小さく肩が震えている気がした。
幼い自分がどこかで微笑んでいるようだった。
あの右手の暖かさが蘇ってくる。 あと、ほんの少しの勇気だけ・・・。
「その・・、アスランに、聞いてほしい・・・ことがあるの・・。」
ブレザーの袖口からはみ出しているカーディガンのすその中で、の拳が一層強く握られた。
心なしか呼吸も、鼓動も、速くなっている。
「もちろん、いいよ。だから・・・」
全てのものを包み込むような暖かい笑顔でアスランは答えた。
の強く握られた拳にアスランの手が重なる。
「もう、無理はしないで。」
の拳が、ゆっくりと力を失った。
「おじゃまします・・・」
少しだけ遠慮気味に踏み入れたの部屋はこの前来た時とあまり変わっていなかった。
夜の帳が落ちて、少しだけ暗い部屋はなんとなく違う雰囲気をかもし出していた。
「ゴメンね、誘っておいてこんなものしかないんだけど・・・」
「あ、いいよ。気にしなくて」
時間も遅く、外も寒いのでということでのマンションにおじゃましたアスランは、目の前に並べられた料理を見ながら言った。
昨日の残りだというシチューとパン、出来合いのサラダはそれだけで十分様になっている。
「おしいしいよ。」
そう言ったアスランの正面に座るは微かに俯いて小さく笑った。
「それで、話なんだけど・・・」
簡単な夕食を済ませ、マグカップに入ったココアを前に、は口を開いた。
静かな部屋に、外を走る車が水を蹴り飛ばす音が響く。
「うん・・・。」
マグカップを包むように握っているの手から、アスランの視線は瞳へと移った。
アイスブルーの冷たい瞳と、暖かい翡翠の瞳が交わる。
「あたし・・・、他人を信じる事が出来ないの。子供の頃にね、親に見離されて。 親戚に預けられていた間に両親は死んだの。」
「えっ・・・」
どう反応を返せばいいかわからなかった。
「これ・・・」
そう言ってが引き出しの中から取り出したのは一枚の写真だった。
そこには、に似た女性と、その隣で笑う男性。
その間には、幸せそうに、花のように笑う幼い女の子が両親と思われる二人に手をつないで写っていた。
「もしかして、コレ・・・」
「そうだよ。小さい頃のあたしの家族。多分この写真撮った翌年あたりかな、両親が離婚してあたしは母親に引き取られた。
でもやっぱり精神的に来てたのかな。その頃から母親はストレスとかをあたしに当てるようになったの。」
そう言うとは、はぁ・・・と息を吐いた。
アスランは、ただ、何も言えずにいた。
「児童虐待ってやつ。最初は耐えていたんだけどね、ある日こう言われたの。
『あんたのせいよ! 全て! 何もかもあんたが生きてるからいけないのよ!!』
ってね。なんかもうそれで全てがどうでもよくなった。でも、全部裏切られた気がして。本当にショックだった。
それからなの、あたしがこういう性格になったのって。」
自称気味に笑ったの指が、写真を軽くはじいた。
乾いた音がして、写真はテーブルから落ちた。
「人を信じられなくて、また、裏切られるのが怖くて。だから最初から一人でいようって思った。
強い人間のふりして、本当は一人になるのが一番怖い事なのにね。」
「だから、なんだ・・・」
「この話をしたのはほんとに少しの人だけで。男の人じゃ、アスランが始めてなんだ。」
これで思い出話は終わり。
そうは言って、マグカップを持って立ち上がった。
「でも、は、だろ?」
「えっ・・・」
キッチンへ向かおうとして後ろを向いたがゆっくりと振り返った。
マグカップを持つ手が、微かに震えている。
「一人になるのが怖いならずっと隣にいるよ。が、俺の事信じられなくても、俺はが信じてくれるまでずっと側にいるから・・・」
アスランは静かに立ち上がると今にも床に落ちそうなの手からマグカップを机に戻した。
「アスラン・・・」
の瞳から落ちた雫をアスランはそっと拭った。
そしてそのまま、ゆっくりとを自らの腕に抱きしめた。
「信じても・・・いいの・・・?」
「もちろん。」
「アスラン・・・」
「もう、いいんだよ。 よく、頑張ったね。」
その一言がを全てから開放したかのように暖かく重くじんわりと心に染み込んでいった。
今日までの思いを全て吐き出すようにはアスランの腕の中で泣き続けた。
そんなをアスランはただ優しく見守り続けていた。
窓の外では、今年初めての白い純白の雪が、深く、深く街を覆っていった。
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