顔を上げれば視界いっぱいに広がる朝靄のかかった緑の山。

まだ目を覚ましていない平泉の中心から離れたここは、呼吸さえ奪われてしまいそうなほど静かだった。

より数歩前を歩く泰衡の漆黒の衣装は、霧のせいかぼんやりと朧げに見える。

人の住む家より聳え立つ木々の数の方が圧倒的に多いせいか、辺りから聞こえるのは2人の足音と、泰衡が手綱を引く馬の足音のみ。


「あの、いつになったら着くのでしょうか・・・?」

「あと少しだ。」

「さっきもそう言ったじゃないですか・・・」


まだ朝陽も上らない時間に叩き起こされたと思ったら、これだ。

泰衡が言うには、この山奥に住む御坊に会いに行くから着いて来い、だそうだ。

そういうことは前日のうちに言って欲しい。

だいたい、総領という肩書きを背負った泰衡は警護の1人もつけないでいいのだろうか。


「・・・眠いのか・・・?」

「えっ・・!?」


思わず出た欠伸をかみ殺すと、いつの間にか足を止めた泰衡が覗き込むようにしてこちらを見ている。

相変わらず眉間には皺がよっているが、その瞳はどこか優しい。

そんな端整な顔を目の前にして、は次第に熱くなっていく顔を隠すように思わず背けた。


「だ、大丈夫です。あっちの世界じゃ、寝不足があたり前でしたから。」

「そうか、それならいい。」


そう言って、再び歩き出した泰衡の背中を追う。


"あっちの世界"


その言葉はどこかまだ違和感を含んでいたが、反面慣れてしまったように思えた。

あっちの世界、と、こっちの世界。

異なる世界が2つ存在してるからこそ仕える言葉。

もしかしたら、自分は、"こっちの世界"に馴染みすぎたのかもしれない。


「お前のいた世界は・・・、」


不意に泰衡が口を開いて、思考の中から引きずり出される。

歩くことも止めず、振り向きもしない泰衡の声色はどこか憂いを含んでいるように思えた。


「・・・私の世界は・・?」

「お前の世界はそんなに忙しいのか?」

「人にも寄るかもしれないけど・・・、平和だからこそある忙しさかもしれませんね。」



そうだ。

学校、勉強、部活、趣味。

それらのものに追われて、忙しくなれるのは平和だからなんだ。

平和じゃなかったら、学校なんて行けない、勉強なんてしてられない。


「泰衡さんが忙しいのは・・・、戦に勝つため・・・?」

「・・・平泉を守るためだ。」

「鎌倉から・・・」


の最後の一言に微かに泰衡は頷いた。

戦から民も自然も全てまとめて国を守ると言った泰衡と、ただ神に力を授けられたって何もできない自分とでは覚悟が違うのだ。

本当に自分は無力だ。

たった数歩前を歩く泰衡の背中が、とても遠くに見えた。




  *





「あと少しで着く。」

「・・・本当に・・?」


朝靄がだんだん消えて行き、頭上に広がる木々の葉の間からも僅かに光が差し込むようになったころ。

急にだまりこんだを不審に思ったのか、泰衡が声をかけた。

と、その時。

激しい羽音と、鳴き声を上げながらおびただしい量の鳥が一斉に飛び立つ。

あっというまに鳥は消え去り、再び森の中には静けさだけが残った。

時折吹く風が不気味に木々の葉を揺さぶる。


「び、びっくりした・・・」

「・・・、こっちへ来い」

「えっ、わっ!!」


急に腕を引かれて、泰衡の隣に問答無用で引っ張られる。

ほんの僅かにでも動けば泰衡とぶつかる事ができる距離にいて、あろうことか引っ張られた手はつながれていた。

本日2度目のどっきりだ。


「や、泰衡さんっ!!」

「煩い、少し黙っていろ。」


そう言った泰衡の意識はどうやらつながれた手には無いらしく、空いたもう片方の手は腰にぶらさがった刀についていた。

何かよくないことがあると、直感的には悟る。


「隠れていないで出てきたらどうだ?」


まるで挑発するような泰衡の静かな声が響いた後、辺りは再び静寂につつまれた。

息をするのもためらうような緊張感に襲われる。

そして、突然2人の男が目の前に姿を現した。

しっかりと構えられた2つの短刀の切っ先は、まっすぐ自分たちの方を向いていた。


「単なる物取りと思ったが・・・。その格好、何者だ?」

「我らはとある方の命で参った者。その娘の命を頂戴仕った。」

「わ、私ッ!?」


流石にこれには予想外だったのだろう。

の手を握る泰衡の手に、力が篭る。

泰衡の腰の刀がスラリと抜かれた。


「何故か、お聞かせ願おうか?」

「大黒天の力を授かったその娘を生かしておくのは危険だと、我が主はおっしゃった。」

「貴様らの主の名をお聞かせ願おうか。」

「それは言えない、先程も言ったはずだ。」

「ならば、力ずくで行くまでだ。」


そういつも以上に冷ややかに言い切った泰衡は、が今までに見てきた以上に怒っているようだった。

切っ先は、2人の喉下を狙う。

まさか、目の前で殺し合いが始まるなんて思わなかった。

殺し合い、なのだ。

命を、奪うのだ。


、何があっても手を離すな。お前一人逃げても、掴まるのは時間の問題だ。」

「・・・やす、ひら・・・」


何かを察したのだろうか。

そう耳元で小さく言った泰衡の声は、まるでを安心させるように暖かかった。





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070723
中途半端でゴメンなさい;;
長くなりそうなので続きは次に!