肆
「・・・大黒天って知っていますか?」
の言葉を聴いた泰衡の表情が僅かに変化する。
元々、皺の寄った眉間がさらに厳しく潜められた。
重すぎる沈黙。
風が木々を揺する音だけが微かに届いているだけの空間。
「・・・知っている。」
「私に、教えてもらえませんか?」
「・・・何故知りたいと?」
泰衡の冷たい声だけが、部屋に響き渡った。
あの時、あの空間で響いた声。
それが真か嘘かもわからない。
彼に、泰衡に話してしまったらもう後戻りは出来ないと誰かが告げている。
は正座した膝の上で、こぶしを硬く握り締めた。
手に食い込む爪がの唯一の虚勢だった。
「・・・話したら、信じてくれますか?」
「信じる、とは言い切れぬ。」
「・・・」
きっと、逆に信じると断言されても自分は困っただろう。
にとって泰衡の返事はありがたかった。
彼は無理意地をさせようとはしていない。
選択権は自分の手の中にある。
スッ、と自分が息を吸う音がやけに大きく感じた。
「・・・ここに来る前に、多分・・・夢の中で声がしたんです。その声は自分を『大黒天』と名乗りました。」
「・・・・・」
「大黒天は私に言ったんです、700年の時を待った、そなたに力を授ける、そして救え・・・と。そして次に目が覚めたときはもうこの地にいました。」
泰衡はが話している間、一言も口を挟む事も泣くただの話を聞き続けた。
彼の突き刺さるような視線を感じる。
はぁ、と息を吐くと泰衡はおもむろに立ち上がった。
何かを探すかのように、本の山を漁り始める。
「大黒天はマハーカーラと呼ばれる、破壊を司る神だ。」
「・・・破壊・・を?」
「あぁ。しかし、普通の人間なら神の力を宿したところで肉体は滅びるものなのだが・・・」
「えっ!?」
滅びる、と言われて黙ってはいられない。
しかし泰衡はそんなにはまったく気が付いてない様子で、ようやく見つけたらしい書物を一心不乱に読んでいる。
ようやく泰衡が顔を上げたときには、もうだいぶ時間が経っていた。
「その後、お前自信に何か変わったことはあったのか?」
「・・・いえ、なにも・・・」
「確かに、神の力を人に宿すことは可能だ。しかし、それにふさわしい器が無ければ・・・・」
「肉体は滅びる・・・」
静かに泰衡は頷いた。
そして、先程まで探していた書物をに押し付ける。
「大黒天は破壊と力の神。その神力はおそらく、この平泉の地を滅ぼすことぐらい簡単なことだろう。」
「う、そ・・・」
「真だ。神の力は果てしない。」
体中が震えていた。
もし、もし本当にあの夢が真実だったら。
自分の身体に大黒天の力が宿っていたら。
自分は、この望んでいない力のせいで人を殺しまうのだろうか。
全てを破壊してしまうのだろうか。
そう考えると背筋が凍った。
「どうしよう、どうすればいいんだろう・・・あたし・・・」
震える手で震える自分の身体を守るように抱きしめた。
ただ、ひたすら怖かった。
「まだお前の身に神が宿ったかさえわからぬ。」
「でも!!私のせいで、誰かが死んじゃったら・・・私の力のせいで・・・」
「泣くな。まだ全てが決まったわけではない・・・」
この世界に来て、初めて涙を流した。
突然起こった異変と、不安とで今まで何度も涙腺が緩みかけたときはあった。
その度に押し込んできた感情が、枷が外れたかのように溢れ出していく。
恐怖に脅えて。
泣くな、と言いながらもそっと涙を拭ってくれる泰衡が隣にいてくれて。
涙は止め処なく、溢れ続けた。
日は既に傾いていた。
淡いオレンジ色の光が雪に反射して、僅かに部屋の中に差し込む。
泰衡の机の上にある書物や手紙は、が来たときからまったく変わらない。
「・・・ごめんなさい・・・」
ようやく泣き止んだが何を言い出すと思ったら。
彼女の視線が自の机に向いるのを感じて、の言いたいことを悟った。
仕方が無い、と小さく呟く。
「・・・仕事が欲しい、と言ったな。」
「えっ、あ、はい。」
突然、もう忘れ去られたのかと思っていた話題を振り出す。
神の力を持っているかもしれない異世界から招かれた少女。
大黒天の力を持って救うものは一体何なのか。
見方になったとしたら、どれだけ有利なことだろうか。
「俺の仕事を手伝え。」
「・・・泰衡さんの?」
「女房も出来ぬ、女では兵にもなれぬ。それ以外になにがある?」
「そうですね。わかりました。」
そう言って、は少しだけ微笑んだ。
ただ純粋に。
その笑顔を真っ直ぐ見れなかったことに痛んだ胸に、
気付かないように蓋をした。
070504
闘いとは勝つより他 道などはない・・・
シリアスなまま終っちゃったよ・・・